佐賀県とはどのような場所でしょうか。
こちらの記事では、佐賀県の特徴や食文化について紹介していきます。
佐賀県の特徴
佐賀県は九州の北西部に位置しており、福岡県、長崎県と隣接しています。玄界灘と有明海に面しており、水産業が盛んです。特に有明海の海苔は有名で、生産量は全国1位を誇ります。また、農業も盛んに行われており、中でもアスパラガス、玉ネギ、レンコンは、全国2位の生産量を誇ります。
佐賀県は、朝鮮半島まで約200kmと東アジアに近接しており、大陸文化の窓口として歴史的にも文化的にも重要な役割を果たしてきました。中でも、吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ケ里遺跡や有田町、伊万里市、唐津市で作られる陶磁器が有名です。また、「くんち」と呼ばれる九州北部に伝わる秋祭りも行われており、特に唐津くんちは日本三大くんちに数えられます。毎年11月に唐津神社で開催され、掛け声とともに曳山が駆け抜ける勇壮な祭りとして知られています。県西には、武雄温泉、嬉野温泉と県を代表する温泉街があり、観光客に人気のある温泉街となっています。
佐賀県の食文化
今回は佐賀平野、有明海沿岸、脊振山地、玄海灘沿岸、有田・伊万里、多良山麓に分けて、それぞれの食文化を紹介します。
<佐賀平野> 川魚料理を食べる文化が残る全国屈指の米どころ
佐賀平野は有明海の広大な干潟を干拓し形成されたミネラル豊富で肥沃な大地を持つ、全国屈指の米どころです。佐賀県独自の銘柄の米が生産されており、「さがびより」は「米の食味ランキング(日本穀物検定協会公表)」において、最高ランクの「特A」に12年連続(平成22年~令和3年産)で評価されています。
かつて佐賀平野は、慢性的な水不足に悩まされていたため、クリーク(農業用水路)が発達し、稲作を支えてきました。また、クリークには、さまざまな淡水魚が生息しているため、フナやコイなどの川魚を食べる文化もあります。鹿島市浜町では「ふなんこぐい」という昆布で巻いたフナをダイコンやゴボウなど季節野菜と一緒に煮込んだ郷土料理が食べられています。また、1月20日になると恵比寿様に「ふなんこぐい」をお供えし、豊漁や商売繁盛などを祈願する風習があります。恵比寿様に供えるタイが高価で一般庶民の手に届かなかったうえ、有明海ではあまり獲れなかったため、代わりにフナを使ったのが始まりだとされています。
<有明海沿岸> 栄養豊富な有明海ではぐくまれた食文化
有明海は、佐賀県、福岡県、長崎県、熊本県に囲まれています。干潮と満潮が1日に2回ずつ起こり、大潮時の最大干満差はこれまで約7mを示したことがあります。そんな有明海は、112本の河川が流れ込んでおり、その水には豊富な栄養が含まれています。干満差によって海水と日光を交互に沢山吸収できることから、海苔の養殖に適した地となっており、ここで生産された海苔は、板海苔として出荷されるほか、海苔の佃煮などに加工されます。
また、肥沃な干潟には、有明海でしか見られない「前海もん(まえうみもん)」と呼ばれる珍しい形・姿をした魚介たちが生息しています。代表的なのがムツゴロウで、他には「有明海のエイリアン」といわれるワラスボ、シタビラメの仲間であるクチゾコなどが生息しています。それぞれ地元では、「ムツゴロウの蒲焼」、「ワラスボのみそ汁」、「クチゾコの煮つけ」といった郷土料理として食べられており、家庭で一般的につくられるほか、県内の飲食店でも食べることができます。
<脊振山地> 寒暖差の激しい気候によって美味しくなる干し柿
脊振山は、福岡県と佐賀県の県境に位置し、山頂からは玄界灘の海岸線が一望できる標高1055mの山です。この地域で約300年前から続く秋の風物詩「柿のれん」は、11月下旬ごろから見ることができます。手作業でひとつひとつ丁寧に皮をむいた柿を干して作るため、ずらりと柿が吊るされた姿が「のれん」のように見えることから、そのように呼ばれるようになりました。山並みの寒暖差の激しい気候を生かして、晩秋から30~40日かけて仕上げる干し柿は、やわらかくモチモチとした食感で、程よい甘さになります。
現在では干し柿を作る家庭が減っていますが、駅や道の駅などに、イベントとして飾られることもあるそうです。干し柿はそのまま食べられますが、「干し柿なます」として食べられることもあります。干し柿をダイコンなどと一緒に酢で和えた料理で、お正月におせち料理のひとつとして食べられています。
<玄海灘沿岸> 玄界灘で獲れた食材を「くんち料理」に
玄界灘は、九州北西部に広がる海域で、対馬海流が南西から北東に流れ、世界有数の好漁場として知られています。タイ、イカ、アジ、サバ、ブリ、イワシ、ウニなどさまざまな魚種が漁獲されます。
また、九州北部においては「くんち」と呼ばれるが秋祭りが行われます。収穫を感謝して奉納される祭で、その際に振る舞われる「くんち料理」には玄界灘で獲れた食材が使われます。「くんち料理」の中でも目を引くのが巨大な魚アラを使った「アラの姿煮」です。アラとは九州地方の呼び名で、全国的にはクエとして知られています。「アラの姿煮」は、アラの肝を取り出し、ダイコンやゆで卵を煮付けにした料理です。商人たちが見栄を張るために、玄界灘で獲れる大きく見栄えの良いアラを煮付けにしたことが始まりと言われています。
<有田・伊万里> 焼き物の職人を支えた夜食「ゆきのつゆ」
有田、伊万里ともに日本屈指の焼き物の産地で、中でも有田町の有田焼は、17世紀初頭に製造が始まり、現在も美術品や食器などが作られています。陶磁器の窯焚きは、窯の中の酸素濃度を調整しながら長時間行うため、その間に火の番をする職人たちの夜食として伝わったのが「ゆきのつゆ」という汁物です。粗く下ろしたダイコンと餅を味噌汁に入れたもので、特に寒い季節に体を温める汁物として重宝されていました。現在では、「やきものの神様」として、地元民から親しまれている「陶山神社」で行われる「有田碗灯」で大晦日の晩に振る舞われています。
<多良山麓> 白米などの代用品として食べられてきた「つんきーだご汁」
多良山麓は、佐賀県と長崎県の県境に位置し、江戸時代初頭には、佐賀藩が永昌宿(長崎県諫早市)~塩田宿(佐賀県嬉野市)間の約48kmを整備し、多良海道ができました。多良山麓は特に麦作が盛んで、米や粥などの主食がないときの代用品として「つんきーだご汁」がよく食べられました。「つんきー」とは、武雄弁で「ちぎる」という意味で、「だご」とは、「だんご」がなまった言葉です。「だご汁」は、小麦粉で作っただんごを手でちぎり、たっぷりの旬の野菜と一緒に煮込んだ汁物で、だんごの形状や地域によって呼び名が変わります。佐賀県のほかに九州の他の地域でも、寒い日に体を温める料理として、また忙しい農作業の合間の食事として食されていました。現在では副食の位置付けで食べられることが多く、家庭で一般的に作られるほか、県内の飲食店でも味わうことができます。